ベヒシュタイン


カール・ベヒシュタインは極めて視野が広く、性質は温厚で、磁石のように人を引きつける魅力を持っていたので、あらゆる音楽家や高貴な人々に愛され、その仕事は驚くほど順調に発展し、彼が作り出したピアノの名声は世界のすみずみまで広がった。

なお、ベヒシュタインは、いうまでもなく、1862年のロンドン工業博覧会でグラプリを獲得するなど、幾多の賞を得ている。このピアノは音色がノーブルなためか、世界各国の皇帝、高后、プリンスおよびプリンセスなど、あらゆる高貴な人々に愛好され続けてきた。スタインウェイが演奏会用のピアノとして最高というなならば、ベヒシュタインは世界の最も高貴なピアノといえるであろう。
かつて、ベヒシュタインは世界の64カ国の王室に納入されていた。
その中には His Imperial Majesty,The Mikado of Japan も含まれている。「みかど」などと記録されているからには、かなり古いことだろうが、現在も皇居の中にはこの楽器があるに違いない。

 カール・ベヒシュタインは、1908年にその生涯を82才の高齢でベルリンで閉じている。彼はピアノ工業が世界的に最も繁栄した時代に生きた、まことに幸運なメーカーであった。

 ベヒシュタインの繁栄は、その後、彼の息子たちによって受け継がれた。第一次、第二次世界大戦で多大の戦火をこうむりながらも、現在もベルリンにおいて、創始者カール・ベヒシュタインが生み出したすばらしい楽器が作り続けられている。


 音色を文章で表現することは不可能なことだが、ベヒシュタインのピアノは、独特の「とろけるような、また歌をうたうような」いわゆるベヒシュタイントーンを持っているという。この美しい音色の秘密は、特殊なサウンドボードの構造と、全音域にわたる完全なアグラフの採用にあると説明されている。カール・ベヒシュタインは、近代的音響学が発達して倍音の原理が解明される以前に、パペから学び取った経験主義に自らの音楽的才能を加えて、この比類なく美しい音色を創り出したのである。

 ベヒシュタインの工場では、1883年には、従業員が500人で年間1200台のピアノを作っていたが、1914年までには1100人で5000台を生産するまでに発展しており、第二次世界大戦までに152000台のピアノを作り上げたと記録されている。

(東京音楽社・楽器の辞典ピアノより)


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